蜃気楼の見える街 魚津
片貝の川の瀬清く行く水の 他ゆることなくあり通ひ見ん
越の海の信濃の浜を行き暮らし 長き春日も忘れて思へや
立山の雪し来らしも延槻の 河の渡り瀬鐙浸かすも
(大伴家持)水ゆたかな地として愛され、小津、小戸など、
みなとをうたう名称で呼ばれたと言う。
もののふの鎧の袖をかたしきて枕にちかき初雁のこゑ
(続武家百人一首)上杉謙信が戦いの束の間、魚津城にて詠んだと言う
松倉、金山の金山を手中におさめた上杉方が、
織田方の小津から魚津と名付けたと伝わる。
本能寺の変を知らず悲劇の魚津城の戦いを経て、
加賀藩領内、新川県、富山県となり蜃気楼を愛でるなど
深く文化をはぐくみ、てんこう水など湧水を生かした街となった。
春や冬には蜃気楼、夏には大漁祈願として、
日本三大竿燈、たてもん祭りや蝶六踊りがおこなわれる。